大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)1370号 判決 1966年3月23日
原告
松本正彦
原告
松本怜子
右両名訴訟代理人
土井一夫
被告
株式会社ヱビス屋
右代表者
加藤泰治
右訴訟代理人
山本正司
主文
被告は、原告正彦に対し金五三〇、七二七円、原告怜子に対し金五〇〇、〇〇〇円、および、右各金員に対する昭和三六年四月二六日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
この判決は、原告ら勝訴部分に限り、原告らにおいてそれぞれ金一五〇、〇〇〇円の担保を立てることを条件に仮に執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、
「被告は、原告正彦に対し金一、〇三〇、七二七円、原告怜子に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円、および、右各金員に対する昭和三六年四月二六日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決並びに仮執行の宣言を求め、<以下省略>
理由
一、当事者間に争いのない事実
原告正彦が亡松本かよ子(昭和三二年九月五日生)の父、原告怜子がその母であり、被告が肩書地において工場および店舗を有し、洋菓子の製造販売等をすることを目的とする会社であること、かよ子が昭和三六年二月三日午後四時一二分頃死亡したこと、および奈佐原孝が昭和三七年一二月一一日大阪地方裁判所に業務上過失致死罪により起訴され、右被告事件が現在同裁判所第三一刑事部に係属していることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、かよ子と本件自動車が接触したことにより、同女が転倒した事実の存否を判断する。
(一)、右事実の存在を直接に指摘する証拠としては、当裁判所における中村義弘の証言と、前示刑事々件における同人の証人尋問調書(乙第九号証)の記載の各一部が存するから、右各証拠の証拠能力および信憑性の有無について考えてみる。
(1) 当裁判所における義弘の証言について。
義弘(昭和三二年)一〇月一日生が当裁判所によつて尋問を受けたのが昭和三六年一一月三〇日であることは、本件記録上明らかなところであるから、同人は三歳四カ月当時に体験した事実についてその約一〇カ月後、即ち四歳二カ月当時に尋問を受けたことになる。ところでわが民事訴訟法は、当事者および当事者に代わり訴訟追行を担当すべき法定代理人以外の第三者の証人能力については格別の制限がなく、殊に年令による制限を規定していないから、ある程度事理を弁別する能力を有する限り、何人でも証人となりうるものと解されるところであり、同法二八九条一号の規定があるからといつて右見解を左右し得ないことはいうまでもないところ、義弘が本件事故についてある程度事理を弁別する能力を有していたことは後に(二)において説示するところであり、したがつて同人が証人能力を有していたものというべく、これが欠けていることを理由に右証言には証拠能力がないということはできない。
しかしながら、右証言の信憑性については、別に検討を加える必要がある。即ち、本件事故後約一〇カ月を経過した右証言当時において、義弘が事故当時のことをどの程度記憶していたか、又本件事故後右証言までの間および右証言がなされた際に、義弘が訴訟関係者によつてなんらかの暗示を受けそれに影響されたことはないか、更に、記憶の錯誤、意味の取りちがえ、認識力不足等から右証言に嘘言が混入していないかという三つの角度より慎重に検討を加えた上で、右証言の信憑性の有無を判断しなければならないのである。
(イ) 義弘が右証言当時、事故当時のことを記憶していたかどうかについては、本件事故が、当時遊び相手であつたかよ子の死亡という義弘にとつては衝撃的な出来事であつたと推測しうること、後示のとおり本件事故直後数人の者より本件事故についての記憶をたどらされ、言葉による表現を求められていること、および、<証拠>により認められるところの、かよ子死亡後一月ほど経過した頃、木原三男方では親子兄弟を交え義弘とともに本件事故のことをあれこれ話し合つたことがあり、その他の機会にも右家族の者などが義弘に本件事故の模様を尋ねたことがあること(右認定に反する証拠はない。)を考え合わせると、右のように記憶が反覆されることによつて、事故後約一〇カ月が経過した右証言当時にも、義弘は本件事故についてある程度記憶を有していたものと思料される。
(ロ) 義弘が暗示による影響を受けたことの有無については、鑑定人田中正吾の鑑定の結果によると、満三歳位の幼児は簡単に暗示にかかる傾向をもつているものと認められる(右認定に反する証拠はない。)ところ、前示のとおり、義弘は右証言までの間に家族の者とともに本件事故について語り合つており、又右の他にも家族の者などが義弘に本件事故の模様を尋ねたことがあつたのであるから、このような機会に何らかの暗示を受けたであろう可能性が十分にあるといわねばならない。のみならず、当裁判所の義弘に対する証人尋問において、義弘は訴訟関係人の質問に対し「うん」といつたり、ただうなずくだけの場合がかなり多く、質問者の暗示によりなされたのではないかという疑いを抱かしめる供述も随所に散見される上、同一質問事項に対する供述内容にも随所に相反するものが見受けられるところであり、したがつて右証言が純粋に義弘の体験事実のみを再現したものとみるわけにはいかない。
(ハ) 最後に右証言に嘘言が混入していないかどうかを考えてみるに、右証言と<証拠>を対比すると、義弘の証言中にはかなりの嘘言があることが認められる(例えば、かよ子より血が多量に出ていたとか、かよ子は上向きに寝ていたとか、かよ子を抱いて連れ帰つたのは原告怜子であつたとかいう供述部分は明らかに嘘言であると認められる。)
義弘は当裁判所における証言においても、かよ子が被告会社の自動車と接触した旨の供述をしており、これは事故直後の供述以来ほぼ一貫しているところである。しかし以上考察したところにより明らかなとおり、義弘の証言中には他人から受けた暗示による影響や嘘言の混入が相当あるものと思料されるのみならず、前後矛盾する部分が多いのであつて、かかる内容を含む右証言は全体として信憑性を認め難いから、本件訴訟における事実認定の資料としてこれを利用することはできないと判断する。
(2)、刑事々件における義弘の証人尋問調書(乙第九号証)について
刑事々件において、刑事裁判所が義弘を証人として尋問したのが、かよ子死亡後約三年三カ月を経過した昭和三九年五月一一日であつたことは、成立に争いのない右乙号証によつて明白であるから、右証人尋問当時同人の年令が六歳七カ月であつたことも明らかであり、したがつて、同号証に証拠能力があることは、(1)に説示したところからみて多言を要しない。
しかしながら、同号証に記載された義弘の証言内容に信憑性があるかどうかについては(1)に説示したのと同様改めて検討を加えなければならない。<証拠>によると、当裁判所の義弘に対する証人尋問以後刑事事件における右証言までの間に、義弘の家族の者が同人に自動車を示しながら本件事故の模様を尋ねたことがあること、昭和三七年一〇月一五日頃警察官が二、三回木原三男方を訪れ、義弘に玩具の自動車を示しながら誘導的な質問をしたことがあると認められ、右認定に反する証拠がない。又右義弘の証言そのものについて検討をしてみてもかよ子は腹部を自動車に轢かれて右自動車の下に入つてしまい、自動車の右側つまり道路中央部へはい出てきた(義弘が見ていた位置からは見透すことができないはずである。)というようにそれまでの供述に見られない新たなる供述をしたり、かよ子から血は出ていなかつたとか、立つて泣いていたとか、帰つて祖父である木原三男には話をしなかつたとかいうように、当裁判所における証言とは異つた供述をしていることが認められる。このような供述の変更は、月日の経過にともなつてそれだけ記憶が薄れ、他人より暗示を受ける機会も多くなり、又嘘言が混入する度合いもより多くなつたことによるものと解せられるところであつて、結局同号証の義弘の供述記載は、当裁判所における前示証言よりも更に信憑性がないというべく、したがつて、同号証は、本件事実認定の資料として、その価値がないと判断する。
(二) 本件事故直後における中村義弘の供述の信憑性について。
(1) 前示当裁判所における証言および刑事事件における証人尋問調書の記載の各一部の外に、本件事故発生直後において、義弘が他人から暗示を受けたとか、自己の記憶について錯誤が混入したとかいうことがほとんどなかつたと認められる段階において、義弘は次のような供述をしていることが認められる(各括弧内は証拠である。)
(イ) 義弘が本件事故直後同人の祖父木原三男方へ帰つて来て、「かよ子ちやんがヱビス屋のブーにあたつたわ、こけたわ」(証人木原三男の証言)、あるいは「ヱビス屋のブウブウにあたつてかよ子ちやんがこけて泣いてはる」(成立に争いのない甲第一六号証――義弘の母中村徳枝の刑事事件における証言速記録)と告げ、
(ロ)、かよ子が泣いているのを発見した伊藤明が義弘に何故泣いているのかと尋ねたところ、「車に当たらはつた」と答え(証人伊藤明の証言(第一、二回))、
(ハ)、本件事故直後偶々現場を通りかかつた吉田和子が義弘にどうしてかよ子が泣いているのかと聞いたのに対し、「ブーあそこへ」と指さし、「あそこでこけはつた」と答え(証人吉田和子の証言)
(ニ)、かよ子が河合病院で死亡したので、その原因を究明するため警察官上村国男が本件事故現場に赴き、右木原三男方で義弘に質問したのに対し、「ヱビス屋のブーブーにこけてエエーンいつた」と答え(証人上村国男の証言、および成立に争いのない甲第一七号証――上村国男の刑事事件における証言速記録)、
(ホ)、同じくかよ子が死亡した後原告怜子が河合病院より引き返し、前記木原三男方表に立つていた義弘に対し、かよ子ちやんどうしたのと聞いたところ、「車に当たつてこけたの」といい、更にどの車かとの問いに対し、「ヱビス屋のパンの車」と答え(原告怜子本人尋問の結果)ている。
(2) よつて、右(イ)乃至(ホ)の供述の信憑性の有無について考えてみる。
右信憑性の有無を考えるについては、義弘が本件事故当時目撃した事実をある程度正確に認識してこれを記憶に留め、更に他人に対し自己の認識した事実をある程度正確に表現する能力をもつていたかどうかを検討し、これが肯定されるときは、更に右供述が質問者の暗示若しくは誘導によつてなされたものではないかどうかを検討することを要し、これが否定され、かつ、他の証拠と対比して甚だしい矛盾を生じない場合に、はじめて右供述に信憑性があると考える。
成立に争いのない甲第一六号証、証人木原三男、同奈佐原孝(第二回)の各証言、および原告正彦、同怜子、被告代表者各本人尋問の結果、並びに鑑定人田中正吾の鑑定の結果を総合すると、鈴木・ビネー知能検査によると、義弘の知能指数は昭和三九年六月九日の検査時に九八であつたが、右指数はほぼ恒常的であること、義弘は本件事故当時自動車が好きでその玩具もいくつか持つており、ダンプカーとかハイヤーとかジープとかの区別がつくほどであつたこと、被告が所有する自動車の後部荷台の側面には幼児でも一見して被告のものであることが容易に判明しうるように、絵が描かれており、本件自動車にも包装された食パンを右手で顔の高さにまで持ち上げている男児の上半身の絵が描かれていたこと、田中鑑定人が年令三歳より三歳六カ月までの男児で知能指数九一から一〇五までの者一〇人を選び、自動車が人形に衝突する映画と、衝突せずに単に人形の前を素通りするにすぎない映画との二本の八ミリカラー映画を見せるという実験をしたところ、右一〇人中九人までが衝突した映画を見てその旨認識しかつ表現することができ、又衝突しない映画を見て衝突したと誤らないだけの認識および表現能力を有していたという実験結果が得られたこと、もつとも右一〇人のうち一人は右二本の映画を見てこれを表現する能力に欠けていたが、その者も知能指数は一〇五で標準以上なのに、言語表現のテンポが遅い幼児であつたため、満足すべき結果が得られなかつたにすぎないことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
事故直後における義弘の前示供述は、被告の自動車がかよ子と接触したという単純な事実を内容とするものであるところ、右に認定したところから判断すると、義弘は本件事故について目撃した事実をある程度正確に認識しうる能力を有し、かつ、認識してから供述するまでの間右認識を保持していたものと考えられる。もつとも前掲甲第一六号証および証人木原三男の証言によると、当時義弘は口の遅い子であつたことが認められる(右認定に反する証拠はない)し、右供述自体自動車をブーブーといつたりしてその表現に幼なさが残つているが、前示のとおり義弘は自動車に興味を持ち、その種類を二、三知つているほどであつたことや、右供述は単純な事実をその内容とするものであることを考慮すると、右供述の意味が不明になつたり、意味を取り違える虞れがあるほど義弘の表現能力劣つていたがとは到底いえず又前掲甲第一六、一七号証、証人木原三男、同吉田和子、同伊藤明(第一、二回)、同上村国男の各証言および原告怜子本人尋問の結果によると、事故直後の右各供述は、いずれも質問者が義弘に暗示を与え、あるいは誘導をした結果これにより影響されてなされたものでないことが認められる(右認定に反する証拠はない)のみならず、後掲する他の証拠とも矛盾するものでないから、本件事故直後の義弘の供述には信憑性があると判断する。
(三) 本件事故およびかよ子の死因について
前示義弘の本件事故直後の各供述がなされている事実に、<証拠>を総合すると、昭和三六年二月三日午後三時四五分頃、かよ子は、同女方(原告ら方)西隣木原三男の孫で、遊び友達であつた中村義弘とともに、原告方から、その表道路たる東西に通じている幅員五、七五メートルの道路を横断し、被告とその西側にある西川米穀店との間にあつて、被告方通路と西川米穀店の東隣にある金網をめぐらした空地との中間にある路地へ行き、その西端(右空地の金網際)にして右道路より約二メートル奥へ入つたところにおいて、空ビン(検甲第五号証)を手にして砂遊びをしていたが、間もなく原告方に帰ろうとして右路地の西寄りの地点から道路際にでてきたところ、折から奈佐原孝が助手席に伊藤明を乗せ、得意先より被告方に帰社すべく被告所有の大四ぬ三七九四号小型貨物自動車(トヨエースライトバン)を運転し、前記道路中央部からやや北寄りを東から西へ向かつて進行してきたが、被告工場の東隣には被告経営にかかるフードセンターがあつて人の出入りが多いので、そのあたりでスピードを時速五乃至一〇キロメートルに落とし、そのままいつものように前示路地西側の空地の前で停車しようとして、かよ子の佇立する地点から約六メートル手前において道路左際に本件自動車を寄せるべく、ハンドルを左にきり(かよ子の方向に進路を向け)、かよ子の直前でハンドルを右にきるとともに、約五メートル前方の道路南際に停車するため一たんブレーキを踏み切つたが直ちにこれを緩めた後惰性で約五メートル進行し、前示路地西側空地の道路際に停車したこと、右ブレーキを踏み切つたことにより、一たん停止寸前になつた本件自動車の左前部バンバー附近を、かよ子の腹部に接触させ、同女を道路際の側溝蓋の上に尻もちをつかせたが、その際同女が手に持つていた空ビンを放り出したためその中に入つていた砂は本件自動車の停車位置より後方つまり東側道路上にばらまかれ、右空ビンは接触地点の東横斜後方の前示路地上に投げ落とされたこと、奈佐原および伊藤はいずれもかよ子が前示道路際に立つていること、本件自動車が同女と接触したことを知らなかつた(この点に重大な過失があることは後記のとおりである)ため、本件自動車を降りてかよ子に気づくことなく(若しくは気づいていたとしても、さして意にとめることなく)前記被告方通路を通つて被告工場の西側横にある入口より工場内を横切つて裏の階段を昇り、フードセンターの二階にある被告事務所に入つたが、その後伊藤がパンの空箱を荷台よりおろすため二度目に本件自動車のところまできたとき、かよ子が前示側溝蓋の上に足を投げ出して坐り、母親を呼びながら泣いているのに気がつき、同女を後から抱き上げ前示の場所でまだ砂遊びをしていた義弘にどうして泣いているのかを聞いたところ、「車に当たらはつた」というだけで要領を得ないので、同女をその家に連れて行こうと考え、被告工場長瀬川種夫にどこの子かと尋ねていると、たまたま来合わせた吉田和子から原告方の子だと教えられたので、道路を隔てた原告方へかよ子を連れて行き、原告怜子にかよ子を手渡したこと、かよ子は伊藤と吉田とが言葉を交わした頃から急に顔色が悪くなり、かよ子を受け取つた原告怜子もかよ子の変事に気づいたので、直ちにかよ子を近くの河合病院に運んで医師に手当てを依頼したが、既に手おくれで、かよ子は同日午後四時一二分頃同病院において、腹部の挫圧によつて惹起された肝臓破裂による内出血のため死亡するに至つたこと、右傷害は、前示のとおり停止寸前の本件自動車と接触したことによることが、それぞれ認められ(かよ子には、当時本件自動車と接触する以外に、肝臓破裂を生ずるほど鈍体によつて腹部に挫圧を受けるような事情が認められないことも、右接触の事実の存在を認める間接事実といえる。即ち、仮に本件自動車による接触でないとすると、前示道路を通行する他の自動車であるとすれば、かなりの速度で進行していることは、前掲検証の結果によつて窺われるから、これと接触すればかよ子ははねとばされたはずであり、そうなれば同女に外傷が生じていなければならないのに、前掲甲第一号証によれば、同女には外傷も衣服の損傷も全く認められないところであるから、このことも、同女が前示のとおり本件自動車と接触したことの一証左となる)右認定に反する<証拠>の一部は前掲各証拠と対比して信用できない。
もつとも、<証拠>によれば、本件事故直後になされた警察官の実況見分の際、本件自動車に接触痕又は擦過痕等が全く認められなかつたことが確認されるけれども、かよ子と本件自動車の接触状況から考えれば、右のような痕跡が残らなかつたということも異とするに足りない。却つて、接触状況が前示のとおりであつたからこそ本件自動車に右のような痕跡が残らなかつたともいいうるところであるから、右確認事実をもつても前示認定を覆えし得ない。
三、本件事故の発生と奈佐原孝の過失
自動車運転者たる者は、進路前方およびその側方を注視する業務上当然の注意義務を負つていることはいうまでもないところ、前示認定の事実に照らせば、本件自動車を運転していた奈佐原において右注意義務をつくしていたならば、当然かよ子を進路前方左側に発見して急停車、進路変更等の措置をとり得た筈であるのにかかわらず、右義務を怠つた過失により、本件事故を発生させたものといわねばならない。
四、被告の責任
原告は、奈佐原が被告の取締役であることを理由として、被告の不法行為責任責任を追求しているが、株式会社においては、代表取締役の行為についてのみ民法四四条一項が準用されるものであつて、代表取締役以外の取締役については同条が準用されないことは、商法二六一条三項、七八条二項により明らかであるところ、奈佐原が被告の代表取締役であることにつき主張立証のない本件においては、原告の右主張は失当である。
しかしながら、原告らの本訴請求は、被告に対し、民法七一五条にいわゆる使用者責任を追求している趣旨をも含んでいると解されるところ、<証拠>によると、奈佐原は被告取締役であると同時に同条所定の被用者に該当するものと認められ(右認定に反する証拠がない。)同人が本件事故当時、被告の事業の執行として本件自動車を運転していたことは、弁論の全趣旨によつて明らかであるから、被告は奈佐原の使用者として、同人がかよ子を死亡させたことにより原告らに対し加えた損害について、これを賠償すべき義務がある。
五、原告らの蒙つた損害
(一) <証拠>によると、原告らは昭和三二年一〇月一三日に結婚し、翌昭和三三年九月五日かよ子が長女として出生したので、発育の記録をとるなどしてその成長を楽しみにしていたが、かよ子も原告らの期待に背かず、精神的にも肉体的にも順調な発育を示し、昭和三四年一二月五日には恩賜財団母子愛育会より準優良児として表彰を受けるほどであつたこと、および昭和三七年一月一日に次女が出生したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。このようにして愛育してきたかよ子が年令二歳五カ月に満たずして本件事故によりその生命を失つたために、原告らが悲歎に暮れたであろうことは容易に推認されるところである(<証拠>によると、本件事故当時原告正彦が営んでいた薬局を閉鎖したのは昭和三八年四月三〇日であることが認められるので、右薬局の閉鎖とかよ子が死亡したこととの間に因果関係があるとは認め難い。)一方<証拠>によると、被告会社代表者加藤泰治はかよ子の葬儀に会葬しており、又かよ子がてんかんで死んだなどと流言を放つたことはないことが認められ、<反証排斥>他に右認定を左右するに見る証拠がない。
右に認定した事実その他本件における一切の事情を斟酌すると、かよ子を失つたために原告らの蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とすべきである。
(二) <証拠>によると、原告正彦は、かよ子が死亡したことにより、葬儀費用等として、別紙明細書記載のとおり合計金三〇、七二七円の出費を余儀なくされたことが認められ、右認定に反する証拠がない。
したがつて、原告正彦は慰藉料および葬儀費用合計金五三〇、七二七円の、原告怜子は慰藉料金五〇〇、〇〇〇円の損害を蒙つたものというべきである。
六、結 論
そうすると、被告会社は原告正彦に対し金五三〇、七二七円、原告怜子に対し金五〇〇、〇〇〇円、および、右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年四月二六日より支払いずみまで民法所定年五分の割合による金員を支払うべき義務があるから、原告らの本訴請求は右限度においてこれを正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。(下出義明 寺沢栄 喜多村治雄)